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昔の広島の水事情

ページID:0009148 更新日:2025年3月31日更新 印刷ページ表示

昔の広島の水事情

 デルタ地帯(三角州)に生まれたまち「広島」は、井戸を掘っても塩水が上がるため良質な地下水が少なく、ほとんどの人々は川の水をそのまま飲み水にしていました。
 しかし、雨の日には川の水が濁り、ひとたび水害が起こると、しばらくの間は飲み水に困ることになりました。
 明治時代に入ると、飲み水などを通して感染する伝染病が流行し、大火や水害もたびたび発生したため、人々は水道の布設を強く望むようになりました。

水くみ

 水くみは、一日も欠かせない大事な家事で、水くみ場と家の間を何度も往復するたいへんな重労働でした。

水くみのイラスト

水売り

 江戸時代、城下町では、水を入れた桶をてんびん棒などでかついだり、荷車に積んで飲み水を売り歩く「水売り」という商売がありました。
 広島にも江戸時代から「水売り」がいたといわれています。

水売りのイラスト

伝染病の流行

 飲み水などを通して伝染するコレラや赤痢などの伝染病が、幕末から明治にかけて流行しました。
 明治19年(1886年)の大流行のときには、広島市内に河水飲用厳禁の県布告が出され、また内務大臣から「コレラ流行地」に指定されました。

コレラ退治の錦絵
(コレラ退治の錦絵)
コレラの恐ろしさをあらわす怪獣を、消毒液で退治している。コレラにかかると短時間で死に至ることから「三日コロリ」とも呼ばれていた。

年表
1877年(明治10年) コレラ流行(明治12、15、19、23、28年も同様)
1887年(明治20年)10月 横浜市に日本最初の近代水道完成
1889年(明治22年)4月 広島市制施行※人口約8万人
1893年(明治26年) 赤痢、腸チフス流行(明治27年も同様)

 

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